〈家族の絆がなければ、精神的な健康を保つことは困難だったかもしれない〉――前都知事・舛添要一氏(68才)の話題書『都知事失格』(小学館)には、そんな一文がある。舛添氏が味わった転落の日々、その反省と後悔は同書に詳しく綴られているが、夫を傍らで支えた妻・雅美さん(53才)の心労は、どれほどのものだったろうか。雅美さんに聞いた。
* * *
〈ポツポツと水が滴る音が聞こえる。取材当日は強い雨が降っていた。インタビュー場所となった自宅兼事務所の地下1階には、本棚が並び、入り口付近に未整理の段ボールも積み重なる。「辞任後、1週間で荷物を引き取ってくれ、と都庁に催促された」と雅美さんは笑う。湿気がこもり、そして雑然とした部屋は、「豪邸」と称されたイメージと隔たる。報道の虚実を言い出せばきりがない。子供の画像もネットにアップされ、拡散された。誰しもが思う。どうして雅美さんは耐えられるのか。離婚を考えたことはなかったのか。〉
私は精神的に太いのかな。いや、鈍いのかもしれませんね(笑い)。
ただね、主人は散々「セコい」と言われましたけど、実情は違うと知っているわけじゃないですか。政治資金でパンツを買ったと非難されても、「あれは選挙用のタオルを買ったときの領収書だよね」とわかってる。主人と一緒になって抗議したいぐらいです。いや、私の方が戦闘モードだったかもしれない。でも、過去に遡れば…離婚してやるっと思ったことは、それはありましたよ。
夫としてより、父親としてどうなのと思ったことは何度もあります。今回の本のタイトルじゃないけど、父親としては「失格」だと思っていました。
たとえば、娘の小学校受験の時にね、最終的に親子面接ってあるじゃないですか。主人は、「父親が評価対象になるのはおかしい」と譲らない。私は「それが世間です!」と。娘を溺愛していたから折れると思ったけど結局来なかった。
その子が高校を受験するときにも、「お前は東大に行ける頭は絶対にないから(進学校は狙わないでいい)」って平然と言う。「お前受かったとしても苦しいぞ、ずっと後ろについていくだけだから」って。なんてこと言うのか、と思う。主人は、子供の評価だけは“親ばか”とは無縁なんです。