歴史認識を巡って近隣諸国との諍いが絶えない。だが、それは今日に始まったことではない。昭和天皇の崩御を契機に、戦後日本の宿題が顕在化し始めた。同時期、国内政治では、五五年体制の終焉という大きな節目を迎えている。田中角栄氏が亡くなり、五五年体制が終焉した平成4~5年について、作家・佐藤優氏と慶應義塾大学法学部教授の片山杜秀氏が語り合う。
片山:五五年体制の崩壊が平成5年。引き金を引いたのは前年の東京佐川急便事件でした。自民党の金丸信が東京佐川急便から5億円のヤミ献金を受け取り、政治家や官僚の汚職や腐敗が社会問題になった。佐藤さんは、まだモスクワですよね。五五年体制崩壊はどう受け止めましたか?
佐藤:率直にショックを受けました。外務省では非自民8党派連立内閣の首相となった細川(護熙)さんよりも小沢(一郎)さんに対する期待感が強かったんです。小沢さんは『日本改造計画』において軍事を含めた国際貢献も含めて「普通の国になれ」と主張していましたから。
片山:最近「日本は、急に右傾化してきた」と言う人がいるけれど、集団的自衛権は、湾岸戦争時のPKO協力法から重要な論点でした。30年越しのモチーフだったんです。
佐藤:おっしゃるように「普通の国になれ」は、そのころから官僚の総意でしたね。片山さんは、細川連立内閣をどう捉えましたか?