放送作家でコラムニストの山田美保子氏が独自の視点で最新芸能ニュースを深掘りする連載「芸能耳年増」。今回は、22日に亡くなった小林麻央さんと麻耶姉妹の絆を改めて振り返る。
* * *
2001年の12月。『恋のから騒ぎ』(日本テレビ系)では恒例となっていた「最低のクリスマス・最高のクリスマス」なるテーマで明石家さんまと“恋からガールズ”がトークを繰り広げていたときのことだ。
他メンバーが、元カレや今カレとのエピソードをぶっちゃける中、前列上手が定位置だった小林麻耶は、「クリスマスは毎年、母や妹と過ごす」「誕生日も同じ」「それがいちばん幸せ」などと発言し、さんまから「ほんまかぁ?」と何度も問いただされていたものである。
当時から麻耶が連呼していたのが「妹のことが好きすぎる」ということ。翌年、「小林麻耶に妹がいるらしい」との情報をスタッフの一人が聞きつけ、ほぼ無条件で次年度メンバーとして合格したのが小林麻央さんだった。
麻央さんの席は前列センター。姉よりも長身で、カワイイというよりも美人タイプだった麻央さんは、特に男性視聴者から抜群の人気を誇り、翌年3月の卒業まで出続けてくれていた。
小林麻耶の『Wikipedia』には、「妹・麻央と共に全回スカートであった」とあるが、それは『恋のから騒ぎ』前列メンバーに、番組側がスカート姿を“お願い”していたから。前列は、美形であることに加えて、脚がキレイだということが条件だったのだ。
小林麻耶は、『恋のから騒ぎ』出演中にTBSのアナウンサーとして内定。その年、採用担当だった同局の小島慶子アナ(当時)が『恋のから騒ぎ』をよく見てくれていて、麻耶がTBSを受けに来た際、「ウチの局に、こういう子が来てくれたら…」と強力に引っ張ってくれたと、後から小島本人に聞いた。
入社後の局内でのお披露目の際、『恋のから騒ぎ』出身であることから採用してもらえないと思っていた…と麻耶は号泣したという。
入社後の彼女の活躍は、みなさんも憶えておいでだろう。人気番組のすべてからオファーされ、そのジャンルは、料理、音楽、クイズからスポーツに番宣番組まで幅広かった。明石家さんまとは、『さんまのSUPERからくりTV』で再共演を果たしている。
あまりの忙しさから「このままでは死んじゃう…」と同期の高畑百合子アナにだけ漏らしたことがあるとも聞く。
そんな姉・麻耶を目の当たりにし、あんなふうにはなりたくないと思ったのかもしれない。麻央さんはセント・フォース所属のフリーアナウンサーとなり、麻耶もTBS退社後、同じ所属となった。