したたかな外交戦略で日本を揺さぶり続ける中国。彼らにとって最も厄介だった平成の首相は誰か。産経新聞外信部次長・矢板明夫氏が解説する。
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そもそも戦後の中国は改革開放政策に転換後、ODA(政府開発援助)などを口実に日本の政治家に食い込んだ。この間、対中ODAを受注させた企業からのキックバックで有力政治家の懐が潤うなど、対中投資の利権化が進んだ。
一方で中国は日本の政治家や財界人を自国に招いて熱烈に歓迎し要人と面会させた。中国で要人との写真があればビジネスがしやすく、中国シンパの多い日本国内では票につながるため、政財界で中国の心境を「忖度」する親中派が台頭した。
1972年に日中国交正常化を果たした田中角栄以降、旧田中派の流れをくむ旧竹下派が対中利権を引き継ぎ、その後の首相は基本的に中国の意のままとなった。
中国政府が外国人に与える最高レベルの称号を「老朋友(古い友人)」と言う。日本の首相は中曽根康弘以降ほとんどが老朋友に選ばれたが、中国が“友人”と認めない例外が3人いる。