めまぐるしく風向きが変わった都議選だった。国会の混乱でイメージ低下を招いた自民党。公示間際に築地・豊洲共存プランを発表した小池百合子知事と、彼女が率いる都民ファースト。こうした「変数」に流されず、安定した選挙戦を展開したのが公明党である。評論家・古谷経衡氏がその“力の源泉”を歩いた。
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今次都議選で最も公明党が重視した「超重点7選挙区」のうち、私がとりわけ注目したのは荒川選挙区である。東京の典型的低地帯、下町を形成してきた荒川には、高度成長時代に農村部から大量に流入し、学会に入信した大量の「公明票」が存在する。
隣接する足立区、北区を含めて(国政では東京12区、太田昭宏前代表の牙城)、東京東部における荒川への公明党の拘りは格別のものがある。江戸城の築城で知られる太田道灌の銅像を背景にして、同党から立候補する新人「けいの(慶野)信一」候補のJR日暮里駅での街頭演説に、同党代表・山口那津男が駆け付けたのは、都議選の公示直前であった。
慶野候補は、公明=学会の典型的な理想像を具現化したような候補だ。荒川・町屋の地元に生まれ、実家は町工場経営(金属加工)。大卒後は太田昭宏の秘書を務めた経歴を持つ。テレビ画面で見るよりも一回り小柄な印象を受ける山口は、ずんずんと街宣カーによじ登ると、慶野候補を「油にまみれ、汗にまみれ、地域と共に頑張ってまいりました」としきりに紹介する。創価学会名誉会長・池田大作の掲げた「大衆と共に」という理念を、その人生において体現したようなプロフィールを持つのが慶野候補である。