色の落ちた外壁にさびた円柱。ヨーロッパ調の飾り窓には釘跡が目立つ。長年の風雨で傷んだネオン管の電飾が、力を振り絞るように次の文字を浮かび上がらせる。『HOTEL 富貴(ふき)』。“昭和遺産”とまで称される伝説のラブホテルの姿である。
『富貴』の開業は1977年。同ホテルのオーナー、野本昭子さん(55才・仮名)の父がホテルを買い取ったことがきっかけだった。
「もともと、別の名前のホテルが建っていたのを『富貴』に改名したのがその年です。旧館と新館がありますが、それぞれ築40年以上になります」(野本さん)
1997年、父が58才で急逝すると、野本さんが引き継ぐことになった。当時、彼女は別の仕事をしており、ラブホテル経営はまるで畑違いの仕事だった。
「最初は不安だらけでしたが、周りのかたも応援してくださり、なんとかやっていけました。当時は従業員にも“お嬢ちゃん”なんて呼ばれて。今じゃ“ママ”ですけど(笑い)」(野本さん)
各部屋は基本的に建築当時のまま。中を維持するのは並の努力ではない。
「変えないように変えていく。常連のお客様が“ここは変わらへんなぁ”と愛着を感じてくださるのはなぜか。そこを大事にしたいと思っています。40年前のクロスや絨毯も、お手入れをしながら、今もそのまま。良質のものが使われており、時間と共に変化している風合いも重みを感じます。
手間や経費の削減を考えると、畳や絨毯はフローリングに変えた方が良いのかもしれませんが、“変わらへんなぁ”の声に支えられて、改装しながらもそれを意識させない工夫をしてきました。従業員さんや業者さんには手間のかかることばかりお願いして、いつも皆さんには感謝しています」(野本さん)
『富貴』特有ともいえる、時間が止まったかのような感覚は、野本さんのこの姿勢から生まれていた。彼女の思いは、ホテルのホームページに綴られた文章にも表れている。
◆“昭和遺産”とも言われて…
《泥臭くてローカルな町 大阪「京橋」が最近変わってきました。古くて泥臭いお店はなくなり お洒落で奇麗なお店が立ち並び“オジサンの町”から“若者の街”に変わろうとしています。時代の変化に関係なく『ホテル富貴』は路地裏で変わらずひっそりと頑張っています》