どうしたら多くの高齢者の夢、「在宅ひとり死」は叶えられるのか――社会学者・上野千鶴子さんが在宅医療の医師・小笠原文雄さんに67の質問をぶつけてベストセラーとなった『上野千鶴子が聞く 小笠原先生、ひとりで家で死ねますか?』から4年。ますます在宅医療の必要性が増し、注目度も高まっている。上野さんは小笠原さんの新著『なんとめでたいご臨終』をどう読んだのか。人生の最期を家で朗らかに過ごす方法を語り尽くした。
上野:私、思うんですが、死に目に会いたいって、あれは何なんですかね。亡くなるのは高齢者だったり、がん患者さんだったりするでしょう。死期は大体わかっているじゃないですか。
小笠原:わかっていますね。
上野:それを、わざわざ子どもが遠くから駆けつけて、臨終の瞬間にそばにいることを、どうして至上命題にするんだろうと。これは私に子どもがいないから、そう思えるんでしょうか。
小笠原:江戸時代は、身内が危篤というと、「よっこらせ、よっこらせ」とやって来て、「もう二度と来られないから」と、亡くなるまでそばにいて帰路についた。昔のそういうイメージと、もう1つは亡くなった時にドクターがご臨終って言い出したからじゃないですかね。人生の中で1回しか使われない、その言葉の重みのようなものを無視できないということかもしれません…。
しかし、そもそも「臨終」というのは「終わりに臨む」わけだから、死ぬ瞬間ではなく、生きている時の話なんですよ。
上野:あっ、臨終も、もとは仏教用語ですか。
小笠原:そうですね。間もなく亡くなるなら、そばにいてあげてもいいと思うんですが、上野さんの言うように、生きている時にきちんとお別れをするなりしておけば、その場にいなくても何の問題もないかと思いますよ。
上野:小笠原さん、私も最近、講演で同じことを言っています。
小笠原:えっ、そうなの?
上野:死に際に駆けつけて「お母さ~ん」と取りすがり、死にかけている人を揺さぶるぐらいなら、相手が正気なうちに、ちゃんとお別れと感謝を言うときなはれって。「ぼくはお母さんの息子でうれしかった」とか、何度でも言うといたらええやないですか。
小笠原:そのとおりですね。
上野:最近は私も法話の世界です(笑い)。
小笠原:ただ、クオリティ・オブ・デス、QODという言葉がありますよね。死ぬ人は最期の最期に「ありがとう」とか「愛してる」、「また会おうね」とか、いろんな言葉を遺して亡くなる。それこそ臨終という、生きている時に言って亡くなるわけですが、実はそれがあるか、ないかによって、遺族のその後はガラッと変わってしまうんですね。
上野:感動的な話がこの本にも出てきますね。