がんを告知されたら、多くの人が絶望してしまうかもしれない。しかし、自分のためにも、そして家族のためにも、がんという現実を受け入れて、希望を失わずに生きていくことが何より重要だ。「がんと共に生きる」──。そう決断したシングルマザーが、がんとの向き合い方についた語る。
浅野恵美さん(仮名、48才)。1968年、北海道生まれ。1990年に結婚、1998年に離婚、現在26才と19才の娘を持つシングルマザー。2011年にステージIIIの膵臓がんが発見され、手術するが、2012年に肝臓、2015年に肺と胸膜に転移し、摘出手術を。6年以上の抗がん剤治療が続いており、現在も胸膜に転移がんがある。娘2人は独立して、ひとり暮らし。
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北海道出身で、今も北海道で暮らしています。下の娘の成人式まで生きることを、1つの人生の目標にしています。
膵臓がんが見つかったのは2011年2月です。ある朝、突然お腹が痛くなって、救急車を呼びました。早朝だったし、痛みが治まればすぐに帰れると思っていたので、娘たちは起こさずに病院へ行ったのですが、検査をしたら膵臓に腫瘍が発見され、膵臓がんであることを告げられました。
そのまま入院となり、半月後には手術を控え、衝撃が走りました。娘とどんな会話をしたかも覚えていません。生きていられるのかなと不安になりました。
膵臓がんは、初期症状がほとんどないため、早期発見が難しいんです。そのため、進行している状態で見つかるケースが多いそうです。
先生に「生存期間どれくらい?」と聞いたら、「5年、10年の単位では考えないでください」と言われました。「1年1年の更新で考えましょう。それが5年にも10年にもなるから、頑張っていきましょう」と言われました。
子供たちのためにどうにかして生きなくてはと思いました。親は私しかいないので、この子たちから親を奪ってはならない。いなくなることはできないと思いました。
上の娘は毎日、病室に来てくれましたが、中1だった下の娘は、私の病気を受け入れられず、「お母さんが死んだら、自分が働かなくちゃいけない」という不安も抱えていたようです。1週間だけですが、登校拒否もしていました。2人とも私への接し方が変わらなかったのがありがたかったです。
膵臓の手術から半年後、肝臓に転移していたことがわかり、心がポッキリ折れてしまいました。でも、そこで無理をして働いては娘に親がいなくなってしまう。それ以降、仕事を辞めて、両親の世話になっています。
◆がんだからといって嘆き悲しむことはない