春夏連覇を狙うセンバツ覇者の大阪桐蔭と、昨夏で休部に追い込まれた超名門のPL学園──多くの高校野球ファンに鮮烈な印象を残す2校。両校の「縁」を『永遠のPL学園』著者・柳川悠二氏(ノンフィクションライター)が追った。
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今年のセンバツを制した大阪桐蔭は、春季大阪大会も制し、近畿大会に出場。決勝で同じ大阪の東海大仰星とぶつかると、毎回得点となる18対0で勝利する。1985年夏の甲子園でPLが東海大山形を29対7で破った一戦を思い起こさせる圧勝劇だった。東海大山形戦はKK時代(桑田真澄・清原和博が主軸だった時代)だが、春夏連覇を達成した1987年のPL最強世代と、大阪桐蔭の2年生は重なる。
中でも、私が入学の前段階から注目し、出身地である飛騨高山にも足を運んだのが根尾昂だ。投手として中学3年次に146kmを記録した球速もさることながら、スキーのスラロームで日本一となった身体能力、オール5の成績で生徒会長を務めた秀才ぶりも、これまで“やんちゃ”な選手が多かった同校の怪物たちと一線を画していた。
今春のセンバツで胴上げ投手となった根尾だが、内外野も守る“多刀流”を貫いている。むしろ現在は、打者としての評価の方が高いかもしれない。左打席での思いきりの良いスイングが特徴で、勝負強さは1987年のPLで主将を務めた立浪和義に重なる。東海大仰星戦では7回に満塁本塁打を放った。試合後、根尾に入学から何本目の本塁打かを訊ねた。
「数えてないっす(笑)。そんなことは気にしていられないです」