【書評】『アリ対猪木 アメリカから見た世界格闘史の特異点』ジョシュ・グロス・著/棚橋志行・訳 柳澤健・監訳/亜紀書房/1800円+税
【評者】井上章一(国際日本文化研究センター教授)
プロレスラーのアントニオ猪木が、ボクサーのモハメド・アリと、一九七六年にたたかった。その記憶は、プロレスのひいき筋をこえ、多くの日本人にわかちあわれている。そのため、猪木・アリ戦については、これまでにさまざまな説明がなされてきた。ただ、それらの多くは、もっぱら猪木側からの読み解きに終始してきたと思う。アリ側の立場から、あの一戦を解説するこころみは、皆無であった。
じっさい、アリの伝記めいた本でも、猪木との対戦にページをさいたものは、ほとんどない。アリにとっては、無意味な茶番劇として、黙殺するのがふつうであった。猪木にとっては、決定的な出来事だったとされるいっぽうで。
だが、プロレスラーらに闘いをよびかけたのは、アリのほうである。誰か、俺に挑戦するやつはいないのか、と。そして、名のりをあげた猪木との対戦合意に、ふみきったのもアリだった。アリのとりまきは、みなやめたほうがいいと、いさめていたにもかかわらず。アリがプロレスというジャンルを、それなりに買っていたことじたいは、うたがえない。