【書評】『大正知識人の思想風景 「自我」と「社会」の発見とそのゆくえ』/飯田泰三・著/法政大学出版局/5300円+税
【評者】大塚英志(まんが原作者)
本書は、ポスト明治ナショナリズムとしての大正知識人の思想的な見取り図を「自我」問題系と「社会」問題系の双極で描こうとするものだ。その時、二極の半端な妥協として「自我と共同体のロマン的融合」が成立するという指摘が興味深い。大正知識人が「私」であることに耐えかねて「民族共同体」を志向し、それが昭和ファシズムへと連なっていくと示唆する。
すると柳田國男のロマン主義民俗学や、そこへの起点としての「私」への嫌悪も、本書によって改めて正確に大正思想史の中に位置付け可能となる気がして興味深かった。
柳田という「思想家」は、一方では甘美な「私」の自意識を伊良湖の浜辺に流れついた椰子の実に重ね合わせるロマン主義的民俗学と、他方では、それを克服せんとして、「社会」の実証的記述と社会政策論からなる「公民の民俗学」の二極に引き裂かれている。
その見取り図の中で柳田や同時代の文学を理解しようとするとわかり易い、という話をぼくは若い人によくするが、柳田は、詩を捨てた「歌のわかれ」のあたりから「自我」の発露をひどく強く自分に禁じていた。それが花袋の私小説批判や、「うぬ憎み」と形容した藤村の自己卑下の癖などを過度に嫌悪した原因にもなる。また、日本語の言霊を生命論的にとらえた折口信夫などは著者の言う「ロマン的生命共同体」論の典型とも改めて思った。