父の急死で突然、実母を支える立場になり戸惑う本誌・女性セブンのN記者(53才)が、認知症を告知され、変わりゆく母との生活を綴る。
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「あたしはね、Nちゃんの家族のお客さんにはなりたくないの。家に帰るわ!」
父の急死によって、母は葬儀の前後1か月ほど、わが家に滞在した。自宅に帰ることになった際、突然、キレ気味に、こう言い放って出て行ったことがあった。
「狭くて居心地が悪かった? ご飯が口に合わなかった? 葬儀から何から、すべて私にやらせておいて、いったいなんなの、その言いぐさは!?」
最後の言葉はさすがにのみ込んだが、私は無性に腹が立った。
「“お客さん”ってどういう意味よ?」
母の本心はわからないまま、「ふん!」と、最悪な気分、不機嫌な顔で見送った。
それから約1年。激やせし、認知症ならではの騒動をいくつも起こした末に、ついに腹をくくって始めた母の住まい探し。何軒もの老人ホームやサービス付き高齢者向け住宅(以下、サ高住)を、「母が安心して静かな老後を過ごせるように」との願いを込めて、いくつも見に行った。
ところが肝心の母といえば、「ママはどんなところがいい?」と聞いても、「そうね~、どうでもいいわよ」と、まるで興味もやる気もなし。「えっ、あたし引っ越すの?」と、ボケたふりでかわすことすらあった。
やはり老人ホームなどは嫌なのだろうか。ダメなら同居も視野に入れてはいたけれど、うまくいかなければ家族全員が不幸になる。母にとって、今度の引っ越しはたぶん最後だ。失敗は許されない。それなのに母の心は、依然として闇の向こう側にあった。
そんな私にヒントをくれたのは当時、母のケアマネジャーだったMさん。4人の子育て経験もあるベテランで、母の“もの盗られ妄想”が起こったときも、すぐに母の元へ飛んで行って一緒に財布を捜してくれた頼もしい人だ。
「お母さんね、デイサービスではいつも積極的にみんなに話しかけて、一生懸命楽しもうとしているのよ。偉いわね」
えっ、母が話しかけてる? 楽しもうとしている? もしかしたら母は、“お客さん”として娘の家にいるより、ひとりでも“自分の生活”を楽しみたかったのか…。
◆母が選んだのは人の営みが息づく“町”だった