明治維新を経て、日本は大きく2つに分断された。“官軍”と“賊軍”。靖國神社では後者は祀られていないのが現状だ。無所属衆議院議員の亀井静香氏は、西郷隆盛や白虎隊など“賊軍”とされた人々を合祀すべきだと主張する。
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近代日本は戊辰戦争、西南の役という内戦を経て、新しい国家に生まれ変わった。これらの戦いに参加した人々は勝者も敗者も国のために身を尽くした。しかし明治維新から150年が経とうというのに、西郷南洲(西郷隆盛)や白虎隊、新選組といった内戦の死者が「賊軍」として靖國神社に祀られていないのは、どう考えてもおかしい。
〈靖國神社のルーツである「東京招魂社」は戊辰戦争や士族の乱などで命を落とした薩摩・長州軍ら“官軍”の殉死者を慰霊顕彰し、明治維新を偉業として後世に伝えるため1869年に創建された。
しかし西南の役を起こした西郷隆盛や薩長と戦った幕府軍や会津軍などのいわゆる“賊軍”は祀られていない。1879年に靖國神社に改称後、日清戦争、日露戦争、大東亜戦争などの国難の際に国家を守るために命を捧げた者を含む246万6000余柱を祀っているが、この「官軍史観」は変わっていない。〉
そもそも西郷南洲を横に置いて明治維新を語ることはできない。戦をするとともに「和する」ことのできる西郷が尽力したゆえ、不倶戴天の敵だった薩摩と長州が手を結び、江戸城の無血開城が可能となった。坂本龍馬一人が駆けずり回っても明治維新は到底成立しなかった。
御一新は日本が近代化するためのひとつの過程だったが、大久保利通や桂小五郎といった薩摩・長州閥によるテロ行為や、急激な文明開化路線で日本的な精神を失うことを西郷は批判した。のちの鹿鳴館に代表される急激な西洋化に反対する士族や侍連中の気持ちを代弁して、彼は最後の決起である西南の役を起こした。