戊辰戦争で負けた幕府側を「賊軍」としてパージし、江戸時代を否定するように近代化・西欧化に突き進んだ明治日本。では、もし幕府軍が勝っていたら、近代化はなし得なかったのだろうか。いや、そんなことはないはずだ。あえて、歴史の「if」を考えてみる。前衆議院議員の村上政俊氏が解説する。
* * *
もし戊辰戦争で江戸幕府が勝っていたら、大坂(大阪)が政治都市となった可能性が高い。「江戸」幕府が勝つのになぜ「大坂」が?と読者は思われるだろう。
最後の将軍徳川慶喜は、鳥羽・伏見の戦いに敗れてから初めて将軍として江戸に入っている。それまでは、京の二条城や大坂城で政務にあたっていた。将軍の上方駐在は先代の家茂の頃から常態化し彼自身も大坂城で病没。政局の中心の移動に伴って将軍をはじめ老中以下幕閣は江戸ではなく上方に腰を据えていた。
大坂が首都にというのは私一人の空想ではない。明治維新の立役者大久保利通も大坂遷都論を説いていた。江戸幕府が続いていれば、大坂が政治の都、江戸が経済の中心、京が文化伝統の要という、江戸時代とは所を変えた三都鼎立が実現していただろう。そして大坂弁が共通語の地位を占めていたと思われる。
また東北地方は過疎どころか商都江戸の後背地として産業拠点になっていたかもしれない。そうなれば青森までの新幹線開通はもっと早かっただろうし、ひょっとしたら既にリニアも開通していたのではとも想像される。