作家・ジャーナリストの門田隆将氏が上梓した『奇跡の歌 戦争と望郷とペギー葉山』(小学館刊)。推薦する作家・五木寛之氏は「昭和の人々が次々と去っていく。さびしい。しかし、ちいさな幸せを大事に生きたペギーさんが紡いだ物語は、これからもきっと色褪せずに続くことだろう」と評した。運命という言葉だけでは表わせない「奇跡の歌」が辿った道とは──。(文/門田隆将)
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「えっ、まさか」
全く予想もしなかったペギー葉山さん急逝のニュースが流れた今年4月12日、私は、4か月前のペギーさんへのインタビューを思い起こしていた。
ある歌がつくりだした80年の長きにわたる一本の不思議な運命の「糸」について、私は取材を続けてきた。その集大成として昨年12月14日、都内のホテルで、彼女にインタビューさせてもらったのだ。その時、ペギーさんはその不思議な歌の運命について、私に熱く語ってくれた。
「運命の扉が、次に次に、と開いていくんですよ。私には歌の神さまがついているのかな、と思いました」
ひとつの曲──それは、昭和33年12月、NHK高知放送局の開局記念番組「歌の広場」で歌った『南国土佐を後にして』である。
その後、空前のヒット曲となり、それがきっかけになって、のちに東日本大震災の時に被災者たちを勇気づける歴史的な歌が生まれることになる。
しかも、『南国土佐──』は、先の大戦のさなか、極限の戦場で兵士たちが生み出し、歌い継いだ“望郷の歌”がもとになっていた。ペギーさん自身もまた、その運命の歌に対して深い思いを抱いていたのである。