3季連続で甲子園ベスト4に進出した熊本・秀岳館の鍛治舎巧(かじしゃ・たくみ)監督(66)が退任を発表。就任3年で無名校を甲子園常連に育てた一方、物議を醸す言動も多い指揮官だった。『永遠のPL学園: 六〇年目のゲームセット』などの著書があるノンフィクションライターの柳川悠二氏が、その「本音」に迫った(文中敬称略)。
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秀岳館が熊本大会の準決勝で勝利した7月23日の夕刻、同校監督の鍛治舎巧からメールが届いた。鍛治舎は2日前に体調不良を訴え、自ら119番通報して緊急入院(診断は不整脈)。準決勝の采配をコーチの山口幸七に託していた。
《私は至って元気ですが、外出許可が出ません。医師の横暴です(笑)。でも私が球場にいなくても、同じことを山口コーチがしてくれました。以心伝心ですね。良い後継ぎができました。多謝鍛治舎》
翌日の決勝で九州学院に辛勝した後にも届いた。
《病室で泣いていました! 余りに不甲斐ない試合に(笑)。さらに鍛え上げて再び日本一を目指します》
熊本大会中のメールのやりとりから、この夏を最後に退任する腹づもりであることがうかがえた。私は、この鍛治舎巧という野球人が大嫌いだった。テレビカメラの前に立てば笑顔を絶やさず、NHKの高校野球解説を務めていた頃と同様、語り口は明快だ。しかし、ファンや報道陣の不興と顰蹙を買う行為も繰り返してきた。