流行の最先端を行く東京・表参道にある名門女子短大のキャンパス。ハイセンスなファッションに身を包んだ女子大生たちが、名物の銀杏並木を談笑しながら歩く。こんな青春の1ページが、消えようとしている…。
7月24日、青山学院女子短期大学(以下、青短)が来春の入学生を最後として、2019年度以降の学生募集を停止すると発表した。青短といえば、女優・山口智子(52才)を輩出したことでも知られるお嬢様学校。
今では「女子大生」といえば四年制大学の女子をイメージする人が多いが、かつては短大生を指すのが一般的だった。
「白短」(学習院女子短期大学)、「赤短」(山脇学園短期大学)、「明短」(明治大学短期大学)といった名だたる短大がしのぎを削るなか、圧倒的なブランド力と表参道という立地から、「最強の短大」として君臨したのが青短だった。
1984年に青短を卒業したフリーアナウンサーの帆足由美(53才)は今回のニュースに、「残念のひと言です」と肩を落とす。
「同級生とはLINEで“大ショックだね”とやりとりしました。短大が次々となくなっているのは知っていましたが、青短だけは生き残ってくれるのではと思っていました」
青短の黄金期を知る帆足の短大時代は“モテ期”そのものだったという。
「他大学の男子学生に『私、青短なんです』と言うと、『えぇ、じゃあぼくにはムリだ』と落胆されるほど、青短の女子大生は“高嶺の花”でした。構内の食堂にある掲示板には、東大や早慶といった一流大学からの合コンのお誘いのチラシがたくさん貼ってあった。当時はカセットテープの音楽を聴きながらドライブするのがデートの主流で、夕方になると校門前の青山通りには、お迎えの車がズラリと並び、中には高級車も。私も彼氏を車で待たせたことがありました(笑い)」(帆足)
同じく青短OGのフリーアナウンサー・西村知江子(65才)は1970年に入学。下火になりつつあった学園闘争は他大学ではくすぶり続けていたが、青短には騒々しさとかけ離れた甘い青春があったという。
「私の時代は“合ハイ”(=合同ハイキング)が流行っていて、男女15人対15人くらいでハイキングをしていました。早慶の男子学生との合ハイでは、彼らの弾くギターの伴奏で輪になって歌を歌った。そこでカップルができることも珍しくなかった」(西村)
青短のキャンパスライフはどこまでもオシャレだった。西村は続ける。