1万種類・78万冊の雑誌を所蔵する「民衆の図書館」こと、大宅壮一文庫(東京・世田谷区)は、評論家・ジャーナリストの大宅壮一の約20万冊の蔵書を引き継ぎ、没後の1971年に設立された。現在、理事長を務める大宅壮一氏の三女・映子氏が、大宅壮一文庫と父の思い出を振り返る。
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◆自宅の庭に造られた資料室「雑草文庫」
いま大宅壮一文庫がある場所は、もともと私たち家族が住んでいた場所なんです。母屋のつなぎに書斎があって、親父は自分が物を書くために必要な資料を色々と集めていた。われわれ家族もしょっちゅう、「〇〇の資料が見当たらない」といっては総動員で探しにかり出されたものです(笑い)。
資料は庭先に書庫を造ってそこへ集めていました。親父は家造りが好きで、設計なんかも自分でしていたんです。故郷の摂津富田(現・大阪府高槻市)から大工のおじさんを呼んで、造ってもらってね。書棚は週刊誌の寸法を測ってピッタリ収まるように設えるなど、こだわりがあったようです。
その書庫は今も大宅壮一文庫の書庫として活用されていますが、そうしたジャストサイズの書棚にぎっしり雑誌が詰まっているものだから、東日本大震災でも本が飛び出すことがなかった。ぎしぎしで落ちようがなかったというのもあるだろうけれど、なんだか雑誌に助けられた気もしましたね。