知性は恋愛の邪魔になる。昭和二年、三十五歳で自死した芥川龍之介には晩年、ひそかに思いを寄せた麗人がいた。片山廣子という名家の未亡人。父親はニューヨーク領事を務めた外交官。夫は大蔵省の高級官僚だった。
この貴婦人は、一方で歌を詠み、また英語が堪能だったので、松村みね子の名でアイルランド文学を翻訳する文の人だった。その縁で芥川龍之介と知りあった。年齢は廣子のほうが十四歳上。娘もいた。
『越し人』(小学館)は、この文学夫人を主人公に、彼女の芥川への揺れ動く気持をたおやかに描いた評伝小説。「越し人」とは、芥川が廣子への思いを詠み込んだ歌の題。彼女の夫の実家が越後だったことによる。
二人は大正十三年、避暑のため軽井沢の旅館でたまたま同宿したことで、急速に仲が深まる。とはいえ、二人はともに知性が邪魔をして、素直に恋愛に入りこめない。
芥川は「窮屈なチョッキ」を着ていて、情愛に溺れることが出来ない。廣子もまた上流階級の女性の誇りから、女になりきれない。
この小説は、二人の理智的な男女が、それゆえにとまどい、怖れ、思い切った恋愛をすることが出来ない、もどかしいさまを描いてゆく。廣子はかつて、ある大衆小説作家と関係したことがある。その作家は平然と「口説き文句は野卑がいい。日本のインテリ男はそれができないんです」と言った。
芥川はまさにその行儀のいい「日本のインテリ男」だった。廣子のような貴婦人を前にしてはいっそう「野卑」になれなかったろう。