明治維新から150年。いまこそ日本には、西郷隆盛の魂が必要とされている。文芸評論家の富岡幸一郎氏がその精神について解説する。
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日本人にとって非常に強い存在としてあり続ける西郷隆盛には、さまざまな側面がある。まずは維新を成し遂げた中心人物という面。内村鑑三が著書『代表的日本人』で〈ある意味で、1868年の日本の維新革命は、西郷の革命であった〉と評したように、西郷なくして維新はなかった。歴史的大転換の主導的人物であり、武人、そして政治的策謀も含めたマキャベリストとしての西郷である。
他方で、文明開化に対して疑問を抱き続け、大久保利通ら開化派と対極に位置した反開化主義者としての顔もある。
とはいえ西郷は開明的でもあった。新国家建設にあたり、西洋の各国を知る必要性を認識し、西洋文明にも目を向けている。さらに福澤諭吉の『文明論之概略』(*注)を高く評価していた。
【*注/明治8年(1875年)刊行。文明についてさまざまな角度から論じ、西洋よりも日本のほうが劣っているとした。西洋列強に日本が植民地化されることを危惧していた福澤は、独立を守るためには徳ばかりを重んじるのではなく、知識の習得が必要だと訴えた】
ひとつの像におさまりきらないこの英雄にいまも多くの日本人が魅了されるのは、現代において西郷の精神が必要とされているからではないか。西郷の精神とはいかなるものか。特筆すべきは、西南戦争に臨んで西郷が示した文明観である。挙兵にあたり、西郷は陸軍大将の名で文書を県令・大山綱良宛に送る。