【書評】『ゼンマイ』/戌井昭人・著/集英社/1300円+税
【評者】嵐山光三郎(作家)
年をとると、ひと昔前の不良おっさんは思い出だけが生きるバネになってくる。せつなく一本気な男の恋情にほろりときて、泣かせます。たまんないね、この小説を読んだら、だれだってモロッコのタンジェへ行きたくなるだろう。ジブラルタル海峡に面したメディナの迷路の町へ。
横浜に生まれ、度胸のある男として裏社会に通じていた竹柴という男は、いまはバンブー運輸社長となり、コンサートツアー用の大型トラックを十台持っている七十七歳である。
竹柴は若いころ、フランスからきた「ジプシー魔術団」巡業のトラック運転手をしていた。そのとき、モロッコ生まれの女ハファと恋仲となった。艶のある長い黒髪、青いガラス玉のような目、褐色の肌。ハファとは巡業中に毎晩のように情事を重ねた。ハファが帰国するとき、魔除けになるといって、ゼンマイの箱をくれた。ゼンマイを巻くとジリジリと音をたて、ゆっくりと廻りはじめる。
ゼンマイを巻いた効果で運輸会社の社長になったが、巻き忘れると災難が身にふりかかった。そのゼンマイの弾力が弱くなってきたころ、竹柴はハファの家があったタンジェへ行きたくなる。さあ、どうなるか、謎が謎をよぶ。