2000年、史上最低の支持率に苦しんだ森喜朗政権は、国民に政治不信を植え付け、それを払拭する役目を次期総理・小泉純一郎氏が担うことになる。「自民党をぶっ壊す」。その男が壊したもの、壊せなかったものとは何か。作家の佐藤優氏と思想史研究家の片山杜秀氏が当時を振り返る。
片山:外交の話をすると、2002年9月に小泉総理が訪朝して、1回目の日朝首脳会談が行われて、5人の拉致被害者が帰国しました。
佐藤:9月17日ですよね。私の初公判の日で、小泉訪朝のおかげで、私の裁判の記事が小さくてすんだ。だから小泉訪朝には感謝しているんです。あれがなければ、一面で書かれていたかもしれません。
片山:小泉訪朝で拉致問題が大きく動き出し、2年後には拉致被害者の家族も帰国した。拉致被害者奪還が小泉政権最大の功績という見方をする人が多い。
佐藤:ただし、あの交渉には問題があった。首脳会談を実現させた外務省の田中均が北朝鮮との約束を破ってしまったのです。
片山:もともとは拉致被害者を2週間後に北朝鮮に帰す約束でしたね。
佐藤:この外交には、小さな約束と大きな約束の2つがありました。小さな約束を守ったからといって、大きな約束を履行するとは限らない。しかし小さな約束に従わなければ、大きな約束に踏み切れない。
この場合、拉致被害者の帰国という小さな約束のあとに、日本は経済支援を行い、北朝鮮は核と弾道ミサイルの廃絶という大きな約束が履行されるはずでした。