新境地を開拓し続ける仲代達矢(写真:時事通信フォト)
映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、84歳の現在も新鮮な活躍を続ける俳優・仲代達矢が語った言葉を紹介する。
* * *
『仲代達矢が語る日本映画黄金時代 完全版』が文春文庫から刊行された。これはタイトルの通り、仲代が出演してきた名作映画の舞台裏について筆者がうかがったインタビュー本で、以前PHPから出た新書を大幅に増補して文庫化した一冊だ。
仲代は八十四歳の今もなお現役の役者として新境地を開拓し続けており、本では過去だけでなくそうした現在進行形の活動や演技に関しての様々な芸談も新たに取材して書き足している。
そこで、この刊行に合わせ、今回と次回はインタビューの一部を抜粋して掲載していく。
仲代は1952年に俳優座養成所で役者人生のスタートを切る。同期には宇津井健、佐藤慶、佐藤允、中谷一郎ら、後に長く映画演劇の最前線で活躍することになる役者たちがいた。
「毎日のように仕込まれましたからね。ですから卒業してすぐにみんなプロの俳優として活躍することができたんだと思います。プロは死ぬまでプロです。みんな仲は良かったけど、やっぱり競い合いです。青山杉作さんという方が大先生だったんですけど、われわれ五十人が養成所に入った時は、『かわいそうだね、君たち』って。それがお祝いの言葉でした。『この中から俳優座へ入れるのは一人だ』と。『あとの四十九人はその一人のために月謝納めるんだからね』って言われました。
この中の一人しか俳優にはなれない──それならば私は『これは四十九対一だ。敵は四十九人いる』──そう心に刻みました。そこから少しファイティングスピリットが出てきましたね。それからは、自分と合わないと思っても随分と芝居も観ました。あと映画では、当時はマーロン・ブランドの全盛期でエリア・カザンの『波止場』は何回も観て、『ああいう役者になりたい』と思ったり。
最初はそうやって、観て覚えました。先生は何も教えてくれません。役者は『観て覚える』が基本です。誰も手取り足取り教えてくれません。結局は誰かの真似から始まります。電車に乗っている時に面白い喋り方の人がいたら、その喋り方をインプットする。面白い目の使い方をする人がいたら、その目をじっと見る。そうやって、イメージで喰らいついていきました」