相撲が好きな人ならば、誰しも必ず「忘れられない一番」があるはずだ。横綱同士の力のぶつかり合い、小兵力士が技術で巨漢力士を圧倒した一番、そして勝負以上に人を惹きつける土俵上での人間ドラマ。どんなに時間が経っても色褪せることのない一番は何か。1970年代の名勝負を6番、紹介しよう。
○貴ノ花(寄り切り)北の湖● 1975年春場所千秋楽
「『角界のプリンス』悲願の初優勝、大量の座布団が乱れ飛んだ一番」
本割で北の湖が勝ち、13勝2敗で並んでの優勝決定戦。貴ノ花に対する大声援の中で、貴ノ花は低い体勢から必死の寄り切りで勝利、悲願の初優勝。大量の座布団が乱れ飛んだ。優勝旗は高砂審判部長(元横綱・朝潮)が渡すべきところだったが、協会の計らいで、兄であり師匠でもある二子山審判部副部長(元横綱・若乃花)から渡された。
○輪島(下手投げ)北の湖● 1974年名古屋場所千秋楽
「北の怪童に炸裂した『黄金の左』、『輪湖時代』の幕開け」
横綱・輪島に対して「北の怪童」大関・北の湖が台頭。本割では輪島が勝ってともに13勝2敗の優勝決定戦に。北の湖が右の上手をとって前に出ると、輪島は右を絞って両差しになり、巻き替え後、北の湖の左外掛けを輪島が「黄金の左」による下手投げで逆転優勝。この場所で北の湖は横綱に昇進。琴桜と北の富士の両横綱が引退し、「輪湖時代」が始まった。
○北の富士(浴びせ倒し)貴ノ花● 1972年初場所8日目
「その右手は『かばい手』か」
北の富士の外掛けを倒れながら貴ノ花が上手投げ。北の富士が伸ばした右手が「かばい手」かどうかで物言いがついた。結局かばい手となり、25代・木村庄之助の差し違えと判断されたが、庄之助は異例の抗議を行なった末に辞職。