相撲好きな人ならば、誰しも必ず「忘れられない一番」があるはず。文学界きっての相撲ファンとして知られる作家の高橋三千綱氏が選ぶ「心に残る一番」は、1957年秋場所14日目の吉葉山対栃錦戦だ。悲運の横綱がライバル相手に意地を見せた名勝負について、高橋氏が振り返る。
* * *
悲運の横綱・吉葉山。十両昇進目前で応召し、戦地で銃弾を浴びて戦死情報まで流れたこともあり、4年後に復員して部屋に帰った時は痩せ細っていて、幽霊と間違われたという逸話がある。足首に銃弾を残したまま土俵に復帰し、必死に稽古して関取になった苦労人だ。
ただ歌舞伎役者のような美男子でファンも多く、特に戦争経験者の間では絶大な人気があった。当時は大関で14勝を挙げても優勝経験がないと横綱になれなかったが、1954年の初場所で全勝優勝してようやく横綱に昇進(33歳)。街頭テレビには人が殺到し、大雪の中での優勝パレードは若貴ブームを凌ぐ大騒ぎだったことを、当時6歳だった私でも覚えている。
その吉葉山とライバル関係にあったのが栃錦だ。この2人の一番はいつも熱戦。両者、奇想天外な技を繰り出すのが常で、栃錦が外無双と二枚蹴りという大技の連続で勝ったこともあった。
迎えた1957年のこの一番は、12勝1敗の東正横綱・栃錦の優勝がかかり、東張出横綱・吉葉山は7勝6敗と勝ち越してもいない状況。多くのファンが栃錦の圧勝での優勝と思ったが、立ち合いに遅れた栃錦が一方的に吉葉山に寄り切られた。
当時私は9歳でNHK児童劇団に入っていたので、NHKで大人に混じって見ていた。鮮明に覚えているのは寄り切られた栃錦が吉葉山に笑顔を見せたこと。それも「よくやったな」と健闘を称えるような笑顔だった。この2場所後に吉葉山は引退、栃錦は若乃花と後に栃若時代を築く。