幕府の海軍の指揮官となり、戊辰戦争では「開陽丸」を率いて「蝦夷共和国」樹立を宣言した榎本武揚。箱館戦争で敗北後は、助命され、明治政府で逓信大臣や外務大臣などを務めた。西郷隆盛と真逆の評価がされることが多い榎本の「舞台」となった北海道・函館と江差の街を、評論家・古谷経衡氏が歩いた。
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幕末の動乱期、江戸幕府軍艦頭であった榎本武揚が、旗艦・開陽丸以下7隻に約2000名の幕兵らを乗せた艦隊を率いて、北海道南部・渡島半島にある現森町鷲ノ木に上陸したのは、1868年(慶応4・明治元年)10月20日のことであった。所謂「箱館戦争」の勃発である。
一時期疑似民主制を導入して「蝦夷共和国」の建国を宣言した榎本であったが、新政府軍の攻勢に敗れ、箱館五稜郭が落城。その新国家樹立の夢は半年で潰えた。
日本の最南端、鹿児島を中心とした西南の役での西郷南洲に比するなら、北方での新政府軍への抵抗の首魁は榎本武揚であることはいうまでもない。しかしこの榎本、どうも南洲に比して日本人には受けが良くない。
榎本の艦隊に同乗して箱館で散った新選組副長の土方歳三は、近年英雄視を通り越して「歴女」の垂涎の的となっている。例えば新選組を題材にした腐女子向け逆ハーレム・アニメ作品『薄桜鬼』では、土方歳三は長髪のヴィジュアル系超絶イケメンとして描かれ、腐女子の電脳を焦がす役回りだ。