啓蒙思想家・福澤諭吉はその著書『明治十年丁丑(ていちゅう)公論』で、西南戦争を起こした西郷隆盛を、言葉を尽くして擁護している。開明派として知られる福澤が、反乱軍を率いた西郷を庇ったのはなぜか。明治大学教授の齋藤孝氏が解説する。
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〈西郷の死は憐れむべし、之を死地に陥れたるものは政府なり〉
これは『丁丑公論』の一節です。この前段で福澤は、「明治政府が西郷率いる士族の暴発を未発に留めることができなかっただけでなく、かえって暴発を促したのではないか」と指摘し、「政府は、西郷の死を防ぐための手立てをもっと積極的にすべきだった」と、西郷の死を憐れんでいます。加えて福澤は、「政府が西郷を殺したんだ」と繰り返し訴えます。
〈政府は啻(ただ)に彼れを死地に陥れたるのみに非ず、又従て之を殺したる者と云うべし。西郷は天下の人物なり。日本狭しと雖(いえど)も、国法厳なりと雖も、豈(あに)一人を容るゝに余地なからんや。日本は一日の日本に非ず、国法は万代の国法に非ず、他日この人物を用るの時あるべきなり〉
西郷を「天下の人物」と呼び、「いくら日本の領土が狭く国法(国の法律や掟)が厳しいと言っても、どうして西郷一人を日本に置いておく余裕がなかろうか」と、西郷を死に追いやった明治政府の狭量さを嘆いています。西郷とは互いに面識はなかったものの、この一節を〈是亦(これまた)惜むべし〉と結び、さらに感情を込めている。これは福澤の他の著作と比べると非常に珍しいことです。