ジャズピアニスト・山下洋輔氏は30年ほど前、自身のルーツを辿る中で、先祖と西郷隆盛との浅からぬ縁を知った。山下氏が100年以上の時を超えて邂逅した英雄・西郷隆盛を語る。
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西郷さんがいなければ、ぼくはこの世に存在しなかったかもしれない。鹿児島城下の西田町に生まれたぼくの曽祖父・山下龍右衛門房親は、生家が近かった14歳年上の西郷さんに可愛がられていた。
戊辰戦争時、曽祖父が小隊長として参戦した庄内攻めの戦場には、「元気でやっているか。いずれ庄内では一緒に戦って功を争おう」という西郷さんからの手紙が届いた。新政府の重鎮である西郷さんが一小隊長を激励するのは極めて異例のこと。羨ましがった仲間が手紙を欲しがると、曽祖父は「自分が死んだら取ってよい」と言い、手紙を身体に巻きつけて戦った。
西郷さんが着陣し、やがて庄内藩が降伏すると、「これだけの兵で庄内の米を食い潰しては気の毒だ」と言い、薩摩軍の一日も早い撤兵を促した。敗残兵からの攻撃を怖れた曽祖父が「撤兵は得策ではない」と抗弁すると西郷さんは笑顔で言った。
「武士が兜を脱いで降伏した以上は信じるべきだろう。また起きたらまた討てばいいではないか」
いかにも西郷さんらしい器の大きな言葉ではないか。戊辰戦争後、西郷さんは曽祖父の行く末を案じ、「廃藩置県をやった後上京できるよう準備をしておけ」との手紙を宛てた。曽祖父は西郷さんの計らいで明治4年に上京。後に「日本警察の父」と呼ばれる川路利良のもとで近代警察組織の設立にたずさわる。明治9年にはぼくの祖父・啓次郎を東京に呼び寄せた(祖父は長じて建築家となり「明治の五大監獄」を手がけた)。