幕末維新の立役者のなかでも、なぜ結果的に“敗軍の将”となった西郷が後世の日本人に英雄視されるのか。社会学者・橋爪大三郎氏によれば、そこに、近代日本を読み解くヒントがあるという。橋爪氏が解説する。
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西郷隆盛には、いつでもどこか、死の影がつきまとっている。西郷隆盛は、有能な軍指揮官だった。政略と戦略の原則をわきまえ、部隊を統率し、勝利に導いた。江戸の無血開城に成功したのはそのハイライトだ。
まず要衝を押さえて、江戸を力攻めできる構えをとる。つぎに単身、敵中に乗り込んで、有利な和平を呑ませる。自らを捨て石にする豪胆な行動が、説得力をもった。交渉術に、西郷の本質がにじみ出ている。
勝海舟は海軍である。海軍は、列強から艦船を輸入し、兵員を訓練して、いちから軍を編制する。開明的で合理的であるほかない。西郷隆盛は陸軍である。薩摩藩士に優秀な装備を与えて、国内を転戦する。伝統的人間関係のうえに、指揮統率が成り立っている。
幕末の課題は、どのように集権的な政体をつくり出し、列強の軍事圧力をはねのけるか、だった。多くの志士たちが脱藩して、その道を模索したが、敗れ去った。代わりに主力となったのは、改革派が藩を乗っ取った、雄藩の連合だった。 その指導者らが、新政府の中枢のポストに就いた。
西郷はそれに加わらず、戊辰戦争が終わると、多くの藩士とともに薩摩に戻った。そのあと数年、西郷は薩摩で、下級武士の待遇を改善する藩の改革にエネルギーを注いでいる。薩摩の下級武士は、他藩と違い、農業経営にも従事する独特な存在だという。ユンカーに似ている。