「希望の党」の代表として、今回の衆議院選における“主役”に躍り出ることとなった東京都の小池百合子知事(65才)。小池氏は1976年にエジプト・カイロ大を卒業後、テレビを中心に活躍し、1988年にテレビ東京『ワールドビジネスサテライト』初代キャスターに就任。看板の美人キャスターとして人気を博した。
1992年には運命の出会いがあった。熊本県知事を務めた細川護熙氏(79才)に誘われ、結党まもない日本新党から参院選に出馬して初当選。続く1993年7月の衆院選では衆議院に転じて当選した。
この選挙では、惨敗した自民党に代わって38年ぶりに政権交代が実現し、細川連立内閣が誕生した。細川氏の隣りにピタリと寄り添っていた小池氏は、その政権交代の様子をつぶさに目をこらして見ていた。
「日本新党を立ち上げる時、細川氏は新しい政策を提示して参加者を募りました。1993年の総選挙でも『政治改革推進構想』を発表して、“この条件をのめるならば一緒にやろうじゃないか”と他党に迫りました。そうした“この指とまれ方式”でなければ、小さな政党が主導権を握って、大きな政党を吸収することはできませんでした。実は、今回の希望の党もまったく同じ方法を使って、民進党を吸収しました。小池氏はあの時の細川さんのやり方を近くで見ていたからこそ、それができたんです」(政治ジャーナリスト)
細川氏は、今回の小池氏の動きを見て、「勝負勘も度胸もいい」と、あるインタビューで目を細めて話している。
小池氏のこの2週間の動きで際立っていたのは、小泉純一郎元首相(75才)の“支援”を取りつけたことだ。
2005年、小泉氏が仕掛けた「郵政解散」のとき、いち早く小泉氏が送る「刺客」として選挙を戦ったのが小池氏だった。あのときの“小泉劇場”はマドンナ刺客の小池氏なくしては、ありえなかったといっていい。
「2人とも妙齢の独身。あまりに仲のいい2人に、“恋仲説”は絶えませんでした。よく小池さんは、“私にも選ぶ権利があるわよ”と笑い飛ばしてましたけどね」(自民党関係者)
◆「小泉流」メディアコントロールにも長ける
そんな小池氏と小泉氏は、希望の党を立ち上げた当日である9月25日、電撃会談を行った。その場に同席していた城南信用金庫顧問の吉原毅さんが言う。
「会談では『原発をゼロにしないといけない』と熱く語る小泉さんに、小池さんが『教えていただいた原発ゼロを訴えていきます』と返しました。15分ほどの会談でしたが、和気あいあいとしてとても親密な感じでした」
小池氏はいままで「脱原発」を主張したことはなかったが、ここにきて変わった。筋金入りの原発ゼロ論者で知られる小泉氏の気持ちをくすぐって味方につける。そんなしたたかさもあったのだろう。会談後、小池氏は「小泉氏から“頑張れ”と励まされた」と得意げに明かした。
「希望の党の主張はあいまいで具体性に欠ける上に、仲間を増やすために唐突に打ち出したものも多い。このままでは“失望の党”になるだろう」と前出・自民党関係者は手厳しい。
小泉氏は巧みなメディアコントロールでも知られるが、この点でも小池氏は「小泉流」をしっかり踏襲していた。