10月12日から京都で開催される「京都国際映画祭」。今年は没後25年となる日本映画界の鬼才・五社英雄監督の作品が特集上映される。彼はいかにして、修羅と官能の世界を作り出したのか。多くの女優たちが「脱ぐ覚悟はできていた」と語るその理由はどこにあるのか──。時代劇研究家・春日太一氏が五社ワールドについて寄稿した。
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五社英雄監督は元々はフジテレビのディレクターだった。この時期に撮ってきた作品の大半は、男たちによる骨太のアクションで、その演出スタイルの容赦ない荒々しさから「五社血出お」「五社ひでえよ」などと揶揄されて、役者たちに恐れられていた。そのため、特に名の知れた女優たちは、あまり五社作品に出たがらなかったという。
また、その頃の五社作品では、女優たちは「男たちのドラマの付け足し」という扱いで、存分に芝居をさせてもらえることはほとんどなかった。それが、フジテレビを退社して最初に撮った『鬼龍院花子の生涯』(1982年)以降、女性を主人公にした文芸作品を監督するようになると、スタイルも一変する。
この映画で夏目雅子が「女優」として開眼したことを受けて、人気女優・若手女優たちがこぞって五社作品に出ることを望むようになったのである。そして、五社作品に出た女優たちは皆、艶めかしい輝きを放ち、その才能を開花させていく。
一方的に演出を押し付けていくのではなく、彼女たちと徹底してコミュニケーションをとる──。この時期から、五社はそう演出を変化させている。心の底を打ち明けたくなる信頼関係を女優と構築することで、撮影現場で女優が五社に身も心も委ね、思い切った芝居ができるようになる。女優たちが気持ち良く演じやすい環境を作る。五社はそのことに腐心していた。