南海ホークス時代に40歳でMVP(本塁打王、打点王)を獲得し、「不惑の大砲」と呼ばれたスラッガー・門田博光氏(69)が体にただならぬ異変を感じたのは、2005年11月のことだった。
「ちょうど阪神vsロッテの日本シリーズ第4戦の中継解説の仕事が決まっていたんです。ところがその数日前、近くにコスモスの花見に行って、昼飯でビールを飲んでいたら、2本目の途中で頭の中が真っ白になった。急にめまいがして、視界がグルグルと回り出した。病院に直行し、1か月の入院ですよ」
告げられた病名は「小脳梗塞」だった。
「退院後、解説の仕事を休んだことをテレビ局にお詫びに行くと、“来年の契約はなしにしましょう”といわれた。14年間お世話になった局でしたが、ちょうどいいタイミングと思われたのでしょう」
苦笑しながらそう振り返る。現役時代は節制を重ね、シーズンオフにしか酒を飲まなかった門田氏だが、引退後は甲子園での中継解説が終わるとタクシーで必ず京都・祇園に直行し、朝まで飲み明かす生活を続けていたという。「そのツケが一気に出たんだと思います」と語る門田氏は、病後のリハビリでは現役時代を思い出すようにストイックな努力を重ねていた。
「脳梗塞ですから言語障害が心配で、入院中から“ABCD…、あいうえお…”と声に出して口を動かす練習を一晩中やった。結局、平衡感覚に障害が残りましてね。克服しないと社会復帰できないから、時間があったらタクシーに乗ってはガタガタ道を走ってもらい、上下の揺れに慣れようとした。さらに京都と新大阪の間を新幹線で何往復もして、車窓を見ながら横揺れの耐性をつけた。私なりのリハビリで、だいぶ感覚を取り戻せましたよ」