『2017上半期テレビ番組出演本数ランキング』の「ブレイクタレント」部門で、見事1位に輝いた落語家の立川志らく(54才)。昨年同期の出演本数はたった6本だったが、今年は129本増と大躍進した。
そんな立川志らくは、かの立川談志(享年75)の弟子だ。師弟の出会いは約30年前に遡る。1985年、志らくは日大藝術学部の先輩である高田文夫の紹介により談志の11番目の弟子として立川流に入門した。
大学を辞め、毎日談志の自宅に通い、落語だけでなく、談志の身の回りの世話から掃除の仕方まで怒鳴られながらもマンツーマンで指導を受けた。1995年に真打ちに昇進すると、映画を題材とした「シネマ落語」を発表するなど精力的に活動し、現在の落語ブームをけん引している。落語評論家・広瀬和生さんは志らくをこう語る。
「志らくは“談志イズム”をすべて取り入れようとした唯一の人物。昭和の歌謡曲や、映画、ミュージカルと談志の好きなものは全て見て吸収した。落語も談志の提唱する『伝統を現代に』の主張を受け継ぎ、古典落語に現代のギャグを取り入れ、若い人が見ても面白い落語を作り上げた。今、志らくは立川流の内外で“談志のDNAを継ぐ男”と認められています」
志らくの“談志愛”を象徴するエピソードがある。談志の死後、談志の旧家に移り住んだことだ。
都内に複数の家を持っていた談志が晩年、家族と離れてひとり暮らしをしていたのが東京郊外の一戸建て。談志の書斎や稽古場としても使われていたこの家には落語だけでなく映画フィルムなど貴重な資料が残されている。
「この家の庭には談志師匠がこよなく愛した八重桜があり、師匠の遺言によって、遺骨はこの木の下に散骨された。そのために家を他人に売ることができなくなった師匠の長女からの依頼を受けて、2年ほど前に志らくさんが、奥さんとお子さんとともに転居したのです。
これには兄弟子の談春さんが『志らくは家元の家の管理人になったんだってなぁ』と憎まれ口を叩いたそうですが、“談志が愛したものを守りたい”という志らくさんらしい決断だったと思います」(立川流関係者)
◆普段の様子はどうなのか?