音楽誌『BURRN!』編集長の広瀬和生氏は、1970年代からの落語ファンで、ほぼ毎日ナマの高座に接している。広瀬氏の連載「落語の目利き」より、桃月庵白酒(とうげつあんはくしゅ)が、いかにして時代を超えた落語の普遍性を気づかせてくれるかについてお届けする。
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落語ファンがエンターテインメントとしての落語を積極的に求めてチケットを買うホール落語と異なり、毎日営業している寄席の定席における落語は、いわば「日常」だ。その、日常的に供給される古典落語の面白さの質を飛躍的に高めた演者が桃月庵白酒である。
2005年に真打昇進した白酒が寄席の世界で新感覚の爆笑古典を日々演じ続けたことの意味は大きい。あの春風亭一之輔にしても、白酒が「羊の皮を被った狼のような古典」で土壌を開拓したからこそ、今のように存分に暴れることが許されているのだ。
白酒は宗教チャンチャカチャン的な『宗論』など飛び道具も持っているし、『幾代餅』『富久』『芝浜』といった大ネタの独自解釈で落語ファンを唸らせもする。だが彼の真骨頂は「地味な演目を楽しく聴かせる」ことにこそある。8月24日の「J亭落語会 桃月庵白酒独演会」は、ホール落語でありながら、そんな「寄席の白酒」の魅力を堪能させた。
演じたのは3席。『金明竹』は上方言葉の口上が聞き取れないというおなじみの前座噺だが、口上の聞き間違い方が通常とはまるで異なり、「仲買の弥市が友情を育んだ工場の掃除夫を寸胴切りにして、タクアンをゼンジー北京がインゲンマメに変えて、屏風の向こう側にダウンスイングの坊さんがいる」のだという。こんなのは白酒でしか聞けない。前座噺も白酒の手に掛かると新鮮な爆笑落語となる。