捕手は打撃よりも守備優先──。球界内で頻繁に聞かれる言葉である。とはいえ一方で、打てる捕手のいるチームが優勝へ近づくことも間違いない。1990年代ヤクルトの黄金時代には古田敦也、2000年代に阪神が優勝した時は矢野輝弘の打棒が爆発した。「打てる捕手の代名詞」とも言える巨人の阿部慎之助は2012年に首位打者と打点王の2冠王に輝き、巨人の日本一に貢献した。
阿部がこれだけの実績を残しているわけだから、今年、巨人で最も多くのマスクをかぶった小林誠司も、どうしても阿部と比較されてしまう。小林自身がこう話している。
〈僕の前のキャッチャーが阿部(慎之助)さんで、あれだけ打つ方ですから、阿部さんと比べられたら……周りの人からしたら、阿部さんはこれだけ打ったのに(小林は)これくらいしか打てないじゃないかと思うのは仕方のないことですよね〉(週刊プレイボーイ2017年5月29日発売号)
2001年から2014年にかけて巨人の正捕手を務めた阿部は2000本安打を達成するほどの歴史に名を残す大打者。たしかにそんな打者と比較されるのは小林にとっても酷だろう。では、巨人で阿部以前の捕手と比較するとどうか。野球担当記者が話す。
「残念ながら、過去の捕手と比べても小林が打てていないことは明白です。小林は昨年2割4厘、今年2割6厘ともう少しで1割台になってしまいそうな数字でした。規定打席に達した選手で、1割台は1982年の山倉和博以来出ていません。そのため、オールドファンの中には、小林を山倉と比べる人もいます。
ただ、山倉の打撃が悪かったかといえば、そうでもない。『意外性の男』というあだ名を付けられたように、2ケタ本塁打を5度も記録し、1987年の優勝時には2割7分3厘、22本、66打点を記録。敬遠も24を数え、まさに恐怖の8番打者としてMVPを獲得していますからね」