囲碁の七大タイトル独占の偉業を、棋士の井山裕太氏(28)が再び果たした。井山七冠を間近で取材し続けている名人戦観戦記者の内藤由起子さんが、井山七冠の傑出した才能がどのように開花されたのか、強さの秘密を明かす。
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昨年4月に、囲碁界初の七大タイトル(棋聖、名人、本因坊、王座、天元、碁聖、十段)同時保持を井山さんは達成した。しかし11月に「名人」を失い、六冠に後退。それから1年。6タイトルをすべて防衛しつつ、名人への挑戦権を勝ち取り、8月末から高尾紳路名人とのリターンマッチに臨んでいた。
10月17日、4勝1敗で名人位を奪還。前人未踏の七冠返り咲きを果たした。2度目の七大タイトル制覇は、囲碁界はもちろん、将棋界を含めても初の快挙で、奇跡ともいえよう。
去年の獲得賞金は1億3494万円。12歳でプロ入りを決めてから、16年間で獲得した賞金は10億円を越すという天才を生んだ鍵は、従来の囲碁界の常識を破る発想と育成法にあった。
井山七冠の碁の特徴は、常識にとらわれない自由な発想をすることだ。
碁盤には打つところが361か所(19路×19路)ある。その変化はゼロが360個並ぶ(10の360乗)ほど多くのパターンがあり、奥深い世界が広がる。碁が強い人ほど、その無限の可能性の中からよい手の候補を絞る能力があるものの、これまでの経験や常識に沿った「普通の」手を選ぶことが多い。井山七冠は、常識ではあり得ない手の中から絶好手を見つける能力がずば抜けているといえる。
その能力が培われたのは、師匠の石井邦生九段の囲碁界の慣習を破る育成方法によるところが大きい。
これまで名人となった大棋士のほとんどが、小学生ほどの年齢で親元を離れ、師匠宅で住み込む「内弟子」を経験している。同じ内弟子のライバルどうしで切磋琢磨し、碁漬けの生活を送って修業するのだ。
師匠に打った碁を見てもらい、アドバイスを受けることはあっても、対局することはほとんどない。入門を許可するための1局と、プロ入りを断念し田舎に帰るときの記念の1局だけ師匠と手合わせてもらえるというのが、従来からの囲碁界の慣例だった。
5歳のときテレビゲームで碁を覚えた井山少年は、たった1年で三段になった。恐ろしいまでのスピード上達だ。小学1年で石井邦生九段の弟子となった。石井九段は「井山の才能に惚れたのです」。50歳を過ぎ、これからはのんびりやっていこうと思った矢先のことだった。
内弟子にするのが最善の策と石井九段も考えたが、一人っ子の井山少年を親元から引き離すのは無理だと思った。かといって家は電車で2時間半も離れていて、通ってきてもらうのは時間がもったいない。
そこで当時始まったばかりの電話回線を使う初期のネットシステムで打つことを思いついた。月に2、3回直接会って打ったのを含め、なんと、師弟で1000局以上は対局したという。破格の対局の多さは、まさに囲碁界の慣例を破った形だった。
これだけ打って指導したのは、石井九段の信念による。