勝利を誰よりも喜んでいるのは、あの男かもしれない。セ・リーグのクライマックスシリーズ(以下、CS)で広島を下し、19年ぶりに日本シリーズ進出を決めた横浜DeNAベイスターズ。その礎を築いた功労者の一人として間違いなく名前が挙がるのが、中畑清前監督だ。
親会社がDeNAに変わった2011年オフ、監督に就任すると、マスコミへの発信力で連日スポーツ紙の1面を飾る。当時はキャンプインと同時にインフルエンザにかかっただけで1面に取り上げられた。野球担当記者が語る。
「中畑監督はまず自分が目立つことで、マスコミを呼び、チームに活気をもたらそうとした。それまでの横浜はセ・リーグでもっともメディア露出が少ない球団だった。現役時代から人気のあった中畑監督は、人に見られることの重要性をよく知っていた」
就任時、横浜スタジアムを満員にしたいと語った中畑監督の夢は、あくまで夢でしかないと思われていた。就任前の2011年、横浜は12球団最下位の観客動員数だった。
「当時のスローガンの『熱いぜ!』は一見、時代錯誤のようでしたが、横浜に最も足りない精神でした。そして、中畑監督は常々『あきらめるな』と言い続けた。あきらめないことは誰にでもできることだと説いた。終盤になっても『あきらめない野球』にファンが魅せられ、毎年観客動員を増やしていき、就任から4年間で165%アップ。2015年は最下位なのに、大入り43回。優勝した1998年の32回を大幅に超えた。中畑監督の発信力がなければ、なし得なかった業績でしょう」(同前)