しかし、 さすがにここまでの凄さは初体験。まずは、シーツを裏返して、シミを隠してみた。毛布は埃が立たぬようにザザーッとはがし、自分の洋服を毛布代わりにしてくるまって寝た。
泥酔した客がいつドアを蹴って入って来るかわからないほどの騒がしい廊下、完全に悪ノリしている破壊音が鳴り響く。かなりの不安もあったけど、もう、来るなら来い、闘う! の精神で腹をくくり集中して寝てみた。もうすべてが刺激的で、“生きてるってこういう事”と開眼した激安宿泊。
そして、最終日、私は最高級ホテルに、運賃が格段に安い三輪タクシー“トゥクトゥク”で移動した。しかし激安宿から最高級ホテルへの振り幅はこんなにも広いものかと驚いた。宿泊代は安宿のほぼ10倍だった。
至る所に歓迎の花が撒かれ、置かれ、高価そうなベッドや絨毯やテーブルは花やフルーツで埋め尽くされていた。人間とはなんと順応性があるのだろう。いい生活にはすぐに慣れた。情けないくらい昨夜のバックパッカーの生活を忘れ、気がつけば高級ホテルの高層階でワインを開けて下界を見下ろしていた。
そして思った。人は低いところから上に這い上がって行く行程に喜びを見出す生き物なのかもしれないと…ただし、その富裕な生活が日常になったら、これはこれで普通に思えてしまうのではないかという怖さも感じた。
今でもあの旅の事をふと思い出す。結局、あの時の私は激安に心震え、高級に安堵した。今だったら3つのホテルのどの生活を選ぶ? と、もし聞かれたら、結局私はどの生活も人生にあってほしいと思う。出来るだけ若いうちにバックパッカー精神を根底に置いて、雑草のような逞しさを持ち、そして色々な経験をしたい。安泰にはまだまだお世話にはならず、落ちたり、這い上がる喜びも味わいたい。
そして、そこには“調子に乗るな”という母の声をいつもそっと添えるようにして邁進したい。“禍福はあざなえる縄のごとし”。3日間のタイでの夜と幼い頃からの母の言葉は、何だかこの言葉に辿り着く。
いつも、自問自答していたい。私は今、何を欲している? 何を学ぶべき? 何を捨てるべき?
…久しぶりに旅に出たい。秋の夜長、そんな出来事をふと思い出しています。
■撮影/渡辺達生
※女性セブン2017年11月9日号