2015年3月から情報番組『ビビット』(TBS系)のMCを担当している元・宝塚歌劇団花組トップスターの真矢ミキ。タイでの“3泊の旅”を振り返る。
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今でも強烈に記憶に残っている旅の話。宝塚退団後初めて訪れたタイ。たった3泊の旅で、敢えてすべての宿泊先を変えてみた。毎日ホテルを変えるのは体が安まらないけれど、退団後また一から人生を始める当時の私の価値観を知るには最適な方法だと動物的に思い、動いた。
3つの宿に泊まり、“そこでアナタはどう思う?”と自分に問いかけてみたかった。トップスターを終え、仕事は0になったものの、恵まれた時代の生活を0に戻す事は簡単ではなかった。だから、退団したら、ただの人、ただの人…と自分に言い聞かせ旅に出た。まず、
1日目は中級のホテル
2日目は激安宿
3日目は最高級のホテル
に泊まってみた。
中級→激安宿→最高級と味わって、いったい自分が何処で何をどう感じるか確かめたかった。結論から言うと、一番刺激的だったのは激安宿だった。最初に泊まった中級のホテルは、すべてが普通で感情も淡々とした。贅沢を求めなければ、食事もセキュリティも全ては守られていた。
安定した生活とは、もしかしたらこういう事なのかもしれない。でも夫や子供もいない、あの頃の独り身の私には“普通”という空間が一番喜びを見出せない気がした。世間とのズレなのだろうか!? “一般的な常識、これは芸よりも大切な事”。これは昔から母によく言われた言葉だった。
いつだって、“調子に乗りなさんな”と注意されてきた。決して派手ではない存在の私に、母は言い聞かすのだ。対人関係の大切さを知っているサラリーマンの妻であった事も大きかったのか? 未だにそれはわからないのだが。15年かけて男役トップスターになった時も“一人でも多くの人がトップを味わえるよう早く辞めなさい”と就任した直後の私に母は言った。母の言葉はいつも私のモチベーションを下げた。いつも母は冷静で普通だった。
洋服の色なども白、黒、グレー、ベージュ以外私は見たことがなかった。“目立ち過ぎない、行き過ぎない”が、母のモットー。
そんな窮屈な考えからはみ出したくて、私は敢えて目立ち、行けるところまで行ってみた。あの頃の母の年までは、あと10年くらい。私も“普通が一番”とそろそろ思い出すのだろうか。
話は戻ってタイの旅2日目、私は安宿に移動した。部屋を開けて愕然! ベッドはシーツが汚れているし、毛布にも髪の毛がついていた。極めつきはドアの鍵がほぼ破壊されていて、中から鍵がかろうじてかかるくらい。
さぁ、どう乗り切るものか…と、ここは冷静に、宝塚で培った生きる知恵を総動員させてみた。劇団では同室者有りの寮生活や、全国ツアーでのビジネスホテル泊が多かったので、与えられた境遇に対応する柔軟性はかなり高い。