「僕の仕事の中心にあるのは、映画です。日本では映画に限らず舞台、ドラマと、オールジャンルをやるのが俳優の基本。だからこそ、自分の重心をどこに置くかは大事だと思っています」
国内外を問わず数々の映画で活躍する俳優・國村隼(61)。低く深みのある美声に、大阪弁独特の柔らかいイントネーション。穏やかな口調ながら、はっきりとこう続けた。
「もし、何の俳優?と聞かれたら……映画俳優と答えるでしょうね」
映画デビューは1981年、井筒和幸監督が初の一般映画でメガホンをとった『ガキ帝国』だった。その後、『エイリアン』(1979年)で知られるリドリー・スコット監督の『ブラック・レイン』(1989年)のオーディションに合格。ハリウッドの大舞台で故松田優作が扮するヤクザの子分役として、高倉健とも共演を果たした。
「優作さんとは不思議なご縁で、初めてお会いしたのが1988年の11月6日。そして亡くなられたのが、ちょうど1年後でした。撮影でロサンゼルスに1か月滞在しましたが、その時に優作さんに食事に誘われて、俳優としての心構えを教えていただきました。高倉健さんはやっぱり、日本最後の映画スターですよね。おふたりとご一緒できてから、自然と映画の世界を意識するようになりました」
予算わずか1000万円の『ガキ帝国』と、60億円のハリウッド大作『ブラック・レイン』という両極端な映画に関われたことも、國村に大きな影響を与えた。