認知症の母(83才)の介護にあたる本誌N記者(53才・女性)。食べることを大事にしていた母が痩せていった姿に、「孤食」への問題を思った。
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「ひとりになったけれど、食事はきちんと摂りたいと思う」
これは4年前、母が認知症と診断され、主治医から指示されて書き始めた日記の1ページ目に記された一文。
父の急死のショックもあっただろうが、葬儀の前後からしばらく、母は心を閉ざしたように無表情になった。半世紀以上連れ添った夫に死なれ、しかも認知症の母の心情とはいかほどか。こっそり覗のぞいた日記が「食べること」で始まっていることに、ちょっと驚いた。
そういえば、「しっかり食べないと働けないよ」というのが昔からの母の口癖だった。そして家族3人だけなのに、いつも食卓いっぱいに料理が並んでいた。料理好きやグルメというのではない。家族が生きるための“食”を重要視していたのだ。それを思えば人生の一大事に、「食事だけはきちんと」という宣言はいかにも母らしい。
そんな母の独居がスタートした。当時私は仕事の傍らで相続や年金、母の家計管理関係の作業に忙殺され、それを言い訳に母への気遣いを棚上げにしていたのだが、母宅を訪ねて買い物につきあうと、心痛い現実に直面した。
一緒にスーパーを歩きながら、私が自分の家族の夕飯の支度をするとわかっていながら、決して「一緒に食べよう」とは言わない。それでいて肉や野菜の“安売り”を見つけるとわれを忘れて駆け寄り、「あら、お肉が安い! せりも旬ね、お鍋がいいわね~」と興奮。
食材を見て家族の喜ぶ献立がひらめき、それがお得に買える至福は主婦の醍醐味だ。その気持ちはよくわかった。それなのに大量の食材をどんどんカゴに入れる母に、「ママはひとりなんだから、お総菜とかを買えば?」――そんな冷淡な言葉しか出てこない自分に凹(へこ)んだ。
母は食の大切さを豪語するわりに運動には興味がないので、若いころから愛嬌あるぽっちゃり体形だ。