明日、世界が滅びるなら何を食べるか──。死と隣り合わせに生きた歴史上の人物も、この自問自答に向き合っていた。
■山本五十六が箸をつけなかった「鯛」
連合艦隊司令長官・山本五十六と家族の食卓に小さな尾頭付きの鯛が乗った。普段であれば山本が子供のために魚をむしって取り分けるところ、この日は最後まで手を付けなかった──長男・義正の著書にはそんな描写がある。これが山本が家族と囲んだ最後の夕餉(ゆうげ)となった。
日米開戦に反対したとされる山本。この夕食の5日後、日本の機動部隊がハワイの真珠湾を奇襲している。懸念が頭に去来し、縁起物の鯛に箸をつけられなかったのだろうか。
真珠湾の約1年4か月後、山本の搭乗機が撃墜される前夜の食事の記録は残っていない。
■東条英機が笑って食した“くさい飯”
東京裁判で絞首刑の判決を受けた元首相・東条英機は、その最期を巣鴨拘置所で迎えている。
教誨師(きょうかいし)・花山信勝(しんしょう)の残した証言によると、処刑前日の夕食は米飯、みそ汁、焼き魚、肉、コーヒー、パン、ジャムといった“和洋折衷”のメニューで、東条は“一杯やりたい”などと笑っていたという。花山の影響もあって浄土真宗に深く帰依し、戦時下とはだいぶ心境が違っていたようだ。