プロ野球選手が「セカンドキャリア」として、別のスポーツを選ぶこともある。昨年オフに戦力外通告を受けた大場翔太(32)は、12球団合同トライアウトを受けず、「競輪選手」に挑戦する道を選んだ。ノンフィクションライター・柳川悠二氏がレポートする。
* * *
昨年、中日から「戦力外通告」を受け、第2の人生を模索し始めた時、大場翔太は心の中でひとつだけ決めていたことがある。
もう二度と野球はやらないということだ。
「野球以外の全部が、次の仕事の選択肢でした」と大場は笑う。
「戦力外となり、トライアウトを受けるかどうか悩んでいた時に、1週間ぐらい、野球から離れたんです。これまでの人生で、1週間も野球をやらないなんて初めてのことでした。思っていたよりも、普通の自分でいられて、野球をやらないことが辛くなかった。それならこれからの人生、いっそ野球から離れて、新しい道を選んだ方がいいのかなって。だからトライアウトも受けませんでした」
大場は千葉県の八千代松陰高校を卒業後、東洋大学で頭角を現した。4年次に東都大学リーグを春秋連覇し、シーズン115奪三振、通算410奪三振のリーグ記録を樹立。2007年の大学・社会人ドラフトでは、6球団もの競合の末、福岡ソフトバンクに入団することが決まった。
デビューイヤーの2008年は無四球完封勝利という華々しいデビューを飾ったものの、その後は在籍8年間で15勝しか挙げられず、2015年オフに金銭トレードで中日に。
新天地では一度も一軍マウンドを経験することなく、戦力外となった。大場が引退を決意して間もないある日、友人の競輪選手と名古屋市内のバーに足を運んだ。偶然、そこで出会ったのが、現在、大場のトレーナーを務める元競輪選手の馬渕紀明だった。
大場と馬渕は、いわば同じような境遇にあった。馬渕も2016年に現役を引退し、次なる人生を模索していた時期だったのだ。どこかふたりには相通ずるものがあったのだろう。「いつでも連絡してきなさい」という馬渕に、大場は数日後、「競輪選手になりたい」と伝えたのである。
現在、トップレーサーとして活躍する元ヤクルトの松谷秀幸(35)など、プロ野球選手から競輪選手に“転身”して成功した前例がないわけではないが、大場は引退時の年齢が31歳である。三十路を過ぎてからの新世界への挑戦に、不安はなかったのか。