【著者に訊け】長谷川晶一氏/『幸運な男 伊藤智仁 悲運のエースの幸福な人生』/インプレス/1800円+税
筆者(橋本紀子)はン十年来のカープファンだが、特に1993年のヤクルトスワローズ、伊藤智仁投手の高速スライダーほど、相手ファンには憎らしく、そのくせ見惚れてしまうものはなかった。
長谷川晶一著『幸運な男』は、その伊藤の初の本格評伝。1993年にドラフト1位で入団後、現役生活の大半を故障との闘いに費やした彼は、俗に〈悲運のエース〉とも称され、最速153kmの直球と、〈直角に曲がる〉(古田敦也捕手)高速スライダーを駆使した全盛期のピッチングは、それだけに球界有数の伝説と化した。
驚異の肩の可動域をもち、それゆえに故障にも苦しんだ彼は、悲運のレッテルを自ら否定し、むしろ自分は恵まれていたと言い切る。マウンドでの活躍を光とすれば、ケガに泣き、つらいリハビリと向き合う日々は影──。それらが背中合わせに共存してこそ、野球は素晴らしいのかもしれない。
記録より記憶に残るのが名選手の条件。中でも伊藤は「誰かに語りたくなる投手の1人」だと、近著に『いつも、気づけば神宮に』もある10歳からのヤクルトファン・長谷川氏は言う。
「僕は1993年4月20日の初登板も、2003年11月、彼の引退セレモニーも現場で観ていますし、観てしまった以上、語らずにいられないのがトモさんのピッチングなんです。あのスライダーのキレはもちろんのこと、長い手足を生かしたフォームやマウンド上の立ち姿がもう、奇蹟的に美しくて。つまり結論から言えば、あの時、彼のピッチングを同時代に体験した全員が、僕は幸運だと思うんです」