【書評】『能 650年続いた仕掛けとは』/安田登・著/新潮新書/760円+税
【評者】関川夏央(作家)
「能」はよくわからない。見れば眠くなる(と思う)。著者安田登は、眠くなっても構わないが、それは近代演劇的な「筋」と「意味」を能にもとめるからだという。能の筋は重要ではなく、能の舞の型に意味はない。観客に望むのは「妄想力=想像力=脳内AR(拡張現実)」だともいう。
漱石は晩年の十年、謡を稽古した。師は漱石より三歳年少、下掛宝生流の宝生新。安田登の宗家にあたる。著者によれば、漱石『草枕』は能の構造を持っている。
世阿弥の開発した夢幻能では、旅の僧(ワキ)が見知らぬ人物(シテ)とめぐり会う。それは、この世に思いを残して死んだ人の幽霊だ。僧は幽霊の話を聞き、その「残念」を解き放ってあの世へ帰す。つまり死者の鎮魂。「ワキ」は「脇」ではない。この世とあの世を「分かつ人」、境界領域の人の意である。
『草枕』の「ワキ」は「旅の画工(絵かき)」だ。画工は峠で茶店の老婆(『高砂』の媼(おうな)にあたる)と話す。そこから先は実はこの世ではない。画工が温泉場で会う「那美さん」は気強い生者だが、人生に多くの思い残しがある。思い残しを解いて、表情に「あわれ」が浮かんだとき、画工の「絵」は成就し、那美さんは救われる。