中国・明代(1368~1644年)の皇帝である永楽帝(1360~1424年)に仕えた武将で、大船団を率いてアジアやインド、アラビア半島、アフリカにまで航海したといわれる鄭和(1371~1434年)の実績をめぐって、中国とスリランカが合同調査チームを立ち上げ、年内にもスリランカの港湾地区、ベールワラゴール沖に沈没したとされる鄭和艦隊の艦船の発見に乗り出すことが分かった。
その存在が確認されれば、史実として伝えられる鄭和艦隊の実態が初めて明らかになる。また、鄭和艦隊には多くの宝物船が加わっていたとされ、今回のプロジェクトにより、当時の財宝の発見にも大きな期待がかかっている。香港の英字紙「サウスチャイナ・モーニング・ポスト」が報じた。
鄭和は現在の中国雲南省でイスラム教徒の王族の家庭に生まれた。しかし、明王朝が成立すると、この地は明軍に侵攻され、まだ幼かった鄭和は去勢されて宦官として当時の燕王で、のちに皇帝となる永楽帝に献上された。
永楽帝は周辺諸国との交易に積極的で大艦隊を編成し、イスラム教徒であり、帝が信頼を置いていた鄭和を南海船団の最高指揮官として任じた。
明代の歴史書によると、鄭和は永楽帝の命令で、1405年から死の直前の1434年までのほぼ30年間、7回にわたる大航海を指揮したとされる。が、その史実が本当かどうかは、中国内外にも諸説あり、事実としては確認されていない。
このため、中国政府は2015年、中国で最高の学術機関である中国科学院や中国社会科学院の専門家を集めて調査チームを発足、海外に派遣して研究を進めてきた。この結果、当時はセイロンと呼ばれていた現在のスリランカの港湾地区で、セイロン軍と戦闘を交えた鄭和艦隊の艦船が沈没していることが分かった。
中国側の呼びかけで、スリランカの専門家も調査チームに合流し、海底に沈んでいる艦船の確認や引き上げを行う計画だ。