角界が揺れる中、「謎のスー女」こと相撲女子の尾崎しのぶ氏が、相撲コラムを週刊ポストで執筆中。今回は、騒動の渦中にあるモンゴル力士について尾崎氏がつづる。
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朝日山親方(元関脇・琴錦)がモンゴル出身の弟子・朝日龍について「実家が裕福なので少しハングリーさに欠ける面があります」と語っていた。その後スポーツ報知『大相撲ジャーナル』が多くの不動産を持つ裕福な家庭で育ったと紹介。モンゴル版のトランプのようなビジネスマンなのだろうか。
朝日龍本人は「お父さんからお金をもらっていい生活ができるけど自分で道を開きたいと思った」と言っている。ハングリーさも土臭さもない朝日龍がどんな力士になっていくのか楽しみである。
一九九一年、大島親方(元大関・旭國)が初めてモンゴルで新弟子セレクションを行った。それに参加した百七十名の応募者の中から選ばれ大相撲界に入った五人のうちの一人に、モンゴル出身力士の隆盛の祖となっただけでなく、史上最高齢三十七歳八ケ月での初優勝、そして四十歳まで関取の座を維持し「角界のレジェンド」と呼ばれた旭天鵬がいた(引退後モンゴルで政治家となった元小結・旭鷲山も同期である)。
旭天鵬(現友綱親方)は一九七四年、モンゴル人民共和国ナライハ市(現在のモンゴル国ウランバートル市ナライハ区)に警察官の父、保育士の母の長男として生まれた。レスリングで全国大会に出場、その他にもバスケットボール、バレーボール、砲丸投げなどに取り組みながら鉱山専門学校で溶接の勉強をしていた彼は、卒業後は警察学校に進学して父と同じ警察官になるつもりだった。だから「日本に行って相撲をやりたい若者募集」の宣伝にも興味を持たなかった。
しかし父がセレクションへの参加をさかんにすすめた。前年までモンゴルは社会主義国家だった。民主化されどこでも行けるしなんでもできる、夢を見る自由を与えられたのだから息子にはそれを全うしてほしいとの思いがあったと伝えられている(ちなみに実技では敗退していたのだが、体形が若いころの大鵬に似ていて可能性を感じる、との特別合格だった)。