2019年4月30日。この日をもって美智子さまは皇后から退かれる。正田美智子さんというひとりの女性が、結婚とともに“美智子さま”として半世紀以上歩んでこられた道は、長く、険しいものだった。
夫を支える妻として、また子供に愛を注ぐ母として、そして国民のために祈る皇后さまとして、その道を歩み続けるお姿は、私たちにとっていつもお手本であり、希望であり、理想であった。
東京・品川区の閑静な住宅街の中に、数分あればゆっくりと一周できてしまうような公園がある。冷たい雨の降る今年6月、その公園に天皇皇后両陛下のお姿があった。
この『ねむの木の庭』は皇后美智子さま(83才)の生家・正田家の邸宅跡地に造られた公園だ。その日、SPに囲まれた美智子さまは優しい笑顔を浮かべられ、白樺の木をじっと眺められていた。
この地から陛下のもとに嫁がれた日のことや、皇后として歩まれたこれまでの人生、そしてこれからのことに、思いを馳せていられたのだろうか…。
1957年8月、聖心女子大学を卒業したばかりの美智子さまは、軽井沢で行われたテニスの親善試合で、当時皇太子だった陛下と出会った。軽井沢から始まった恋は静かに進み、1958年11月の皇室会議で美智子さまは正式に皇太子妃に決まった。皇室ジャーナリストの山下晋司さんが語る。
「皇后陛下は日清製粉社長の令嬢で自宅に暖炉があるような裕福なご家庭出身でしたが、元華族や皇族ではなく一般人です。普通のお嬢さんが皇太子殿下のお嫁さんになるというシンデレラストーリーに世の女性は熱狂しました」
民間から初めて誕生したプリンセスは、瞬く間に日本中の女性の憧れとなり、「ミッチー・ブーム」を巻き起こした。美智子さまと同い年の女優・中村メイコさん(83才)は、皇太子妃に内定して初めて御所に向かわれた際のファッションが今も目に焼きついている。
「タフタ生地のワンピースをお召しになって、ミンクの小さなストールを肩にかけた、東京の女の子にとって王道の着こなしでした。当時私たちは、ファッションデザイナーとしても活躍した中原淳一編集長が作った女性誌『ひまわり』や『それいゆ』に夢中で、読み込んでは、美しさと賢さを兼ね備えたファッションを真似していたものでした。美智子さまのファッションもそれに通じるものがあり、『私たちの近くにいる女性がプリンセスになる』と、とてもうれしかったことを覚えています」