時につらい思いを抱えられても、皇后美智子さま(83才)は常に全身全霊で「公務」に臨まれてきた。妻として母としてだけでなく、「皇太子妃」「皇后」としての姿も世代を問わず多くの女性に勇気と希望を与えた。
アグネス・チャン(62才)は、1988年夏に開催された外国人留学生の催しで初めて美智子さまと共に過ごした。
「その時、主催者が欧米人の留学生を先頭にして、アジア人、アフリカ人の順に並べたんです。すると当時の皇太子さまと美智子さまは、あえてアフリカ人の方から挨拶をされました。思わず涙があふれました」
黒柳徹子(84才)は1979年に米国のろう者劇団を招聘して日本で手話劇の公演を行った際、皇太子時代の陛下と美智子さまが観劇に訪れたことに勇気づけられたと言う。
「ろう者や手話への社会的理解が低かった時代ですが、陛下と美智子さまは終演後にわざわざ楽屋を訪れ、出演者にお言葉をかけられました。それをきっかけに手話の認知度が高まり、黒柳さんは『美智子さまに感謝しています。大きな勇気をいただきました』としみじみ話していたそうです」(宮内庁関係者)
美智子さまも手話を学ばれ、その思いは紀子さま、真子さま、佳子さまへと受け継がれている。日々、膨大な量のご公務を務められる美智子さまだが、どんな公務であってもひとつひとつ、細部まで調べ、勉強を重ねてから臨まれる。
訪問看護『パリアン』看護所長の川越博美さんは、1996年の『日本看護協会創立50周年記念式典』に出席された美智子さまの言葉に心動かされたと言う。
「美智子さまのスピーチは、《時としては、医療がそのすべての効力を失った後も患者と供にあり、患者の生きる日々の体験を、意味あらしめる助けをする程の、重い使命を持つ仕事が看護職であり、当事者の強い自覚が求められる一方、社会における看護者の位置付けにも、それにふさわしい配慮が払われることが、切に望まれます》というものでした。
あまりにも素晴らしい言葉に、不敬にも誰か原稿を書いたかたがいるのではないかと思い、おうかがいしてみたところご自身でお書きになっているとおっしゃられて本当にうれしかった。私自身、美智子さまがおっしゃったような看護をしたいと常々思っておりましたので、こういう働きをしたらいいのだと自信になり、さらに仕事に励むようになりました。今でもこのスピーチは、看護学生や各地での講演でお話ししています」
◆被災者が語る美智子さま
自然災害の被災地に足を運ばれては、祈りを捧げ、被災者の心を癒され続けた美智子さま。2011年の東日本大震災直後も被災地をご訪問された。
岩手県釜石市の避難所ではお見舞い中に余震があり、驚いた被災者の松田節子さんが思わず美智子さまの手を握った。すると美智子さまはもう一方の手をゆっくりと重ね、「大丈夫ですよ」とおっしゃられた。