東京・田園調布にある自宅から都心に向かって車で30分ちょっと。赤坂にある名門「ホテルニューオータニ」のロビィフロアのカフェレストランには、毎晩のように野村克也さん(82才)と野村沙知代さん(享年85)夫婦が姿を見せた。
夫婦の“指定席”は、広いホールのいちばん奥のテーブル。ふたりがソファに腰を下ろすタイミングで、いつものアイスカフェオレとホットコーヒーがテーブルに運ばれてくる。
「野村監督が東北楽天イーグルスを辞めて仙台での“単身赴任”から東京に帰った2010年以降、たまに気分を変えてホテル内の和食や寿司、中華を食べることもありましたが、いちばんのお気に入りがこのレストラン。それも、必ず夫婦並んで一緒に食べていました。監督に新聞や雑誌のインタビューがあれば、夕方からそのテーブルで取材を受けて、19時頃に沙知代夫人が合流する。東京ドームでナイターの解説があれば、先に夫人がお店に入り、22時すぎに監督が駆けつける。とにかく、いつも食事は一緒でした」(スポーツ紙野球担当記者)
本誌・女性セブン記者は半年ほど前、レストランで沙知代さんを見かけた。少しやせた印象だった。「最近、テレビでお見かけしないですね」と声をかけると、「元気でやってるわよ。何かあったら、電話してきなさい」といつもの張りのある声で返してもらった。
沙知代さんが亡くなる前日の12月7日の夜も、そのレストランで、いつものように夫婦で食事をとった。
知り合って45年以上。会話が弾むわけじゃない。めったに笑顔を見せるわけでもない。でも、いつもの夫婦のテーブルには、老いてなお、慈しむように過ごしたふたりの時間が、深く沁み込んでいる。
「サッチー」の愛称で親しまれた沙知代さんが12月8日、亡くなった。克也さんが昼頃に目覚めると、隣のベッドで休んでいた沙知代さんが「左手を出して。手を握って」と声をかけた。
「そんなことを言うなんて、珍しいな」と笑いながら克也さんがそっと手を握る。それからふたりで起きてダイニングに向かったが、沙知代さんは食事にひと口手をつけただけで、テーブルで意識を失った。
午後4時すぎ、沙知代さんは救急車で搬送された病院で息を引き取った。虚血性心不全、享年85。克也さんは「あっけない。こんな別れがあるのか」と茫然と語った。